3.11を想う

2011年3月11日、大阪に単身赴任していた私は、重要案件の稟議のため、東京本社の承認者とテレビ会議を行なっていました。

こちらの申請内容の説明が終わり質疑応答にはいったとき、スピーカーから緊急地震速報のサイレンが鳴り響きました。

「会議室の扉を開けて!」「机の下に入って!」モニターの向こうで飛び交う中、大阪の会議室は「大丈夫ですかー?」「揺れてますかー?」など他人事でした。

しかし、その後、大阪の会議室が大きく揺れました。「!」「こっちも揺れてます!」「これはハンパじゃない地震だ!」「震源はどこだ!」。案件審議は中断、再審議となりました。

あとになって会議の録音データで確認したところ、大阪の揺れは東京の揺れからちょうど2分後でした。

会議が中止となり、関東の家族に連絡を取ろうと何度も携帯で電話をかけましたが通話中でつながりません。最初につながったコミュニケーション手段はLINEでした。「無事!だけど家が潰れるかと思ったよ!」

審議のため大阪から東京に出張していた同僚は宿泊施設が確保できず、会社の居室で夜を明かしました。出張で羽田空港に到着しゲートを出たところで地震に遭遇した同僚は羽田空港ロビーのベンチで夜を明かしたとあとで聞きました。ANAがロビーにベンチを持ち出してくれたのとスターバックスがコーヒーを24H 無料で提供してくれたのが、とても嬉しかったそうです。

震源地は東北沖、大津波が東北から関東の太平洋沿岸を襲い、福島原発が津波で被災、信じられないニュースが次々に報じられる状況でした。

福島原発の状況は、血液検査会社でRI(ラジオアイソトープ:放射性同位元素)検査室で働いた経験があり、リスク管理を勉強したわたしにとって最大のリスク対策が必要な事象でした。考えた結果、しばらく家族を大阪に呼ぶことにしました。子供の学校を休ませる手続きをし飛行機を予約しました。家族が東京を離れた日、福島原発が爆発し東京にも放射性の灰が降りました。

企業の動きでは、SAPジャパンのBCMは驚きでした。福島原発の事故のニュースが流れるやいなや、大阪のホテルを大量に確保し東京の社員と家族を大阪に移動させました。

関東に放射性の灰が降ったあと、コンパクトタイプのガイガーカウンターが大流行しました。「測ってガイガー!」というサイトにみんなが協力して線量を登録し、計測器の誤差を検証し、地図を共有しました。千葉県柏市はホットスポットだとか、その数値は国際線パイロットが浴びている線量と同じだから問題ないとか、千葉市の水道から放射性物質が検出されたとか、さまざまな情報がありました。SPEEDI(スピーディ:緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム。原発事故によって放出される放射性物質の量や広がりを気象や地形などから予測するシステム)の存在が知られるようになったあとも、予測情報はなかなか公表されず、もちろん被爆地からの避難にも活用されませんでした。

わたしはこの年から趣味の海釣りをやめました。福島原発から流れ出した汚染水が銚子あたりにまで流れているのではないか、関東に降った雨が地表に降った放射性物質を川に流し東京湾が汚染されているのではないか、という恐れを感じていました。実際、東京湾の河口には放射性物質が蓄積しているというニュースがありました。

水道水が放射性物質で汚染されているのではという恐怖のせいか、関東周辺でペットボトルの飲料水が入手困難になりました。わたしは大阪で飲料水を探して箱単位で買い、家族に送る生活を送りました。家族に送る飲料水と知ると、各運送会社は送料を安く見積もってくれました。浄水器メーカーのシーガルフォーが放射性物質の濾過について検証結果を発表し、家族は安心して浄水を使うようになりました。

多くの人が放射性物質の心配がない安全な食品を求めていました。自然食品のサプライヤーでは会員登録が急増し西日本の野菜が人気の一方で関東の野菜は人気がありませんでした。以前より、わが家は南房総の野菜を購入していましたが、しばらくは大阪から野菜も送りました。

地震の翌日、友人の妻君の実家が津波で被災したかもしれないと聞きました。ご家族の安否を確認する方法がまったくありませんでした。津波の被害状況をニュース映像で確認し、Googleマップの衛星写真と見比べると、彼女の実家の周辺はぎりぎり津波が来たように思えましたが、たぶん建物は流れていないから大丈夫だと励ますしかありませんでした。数日後、避難場所から全員無事だと連絡がありました。道路が通れるようになってすぐに東北の姉が実家に駆けつけたそうです。


それから数年後の3月11日、わたしは有楽町のスターバックスにいました。もうすぐ地震発生時刻の14:46になるところでした。わたしはカウンター席で時刻を確認し1分間の黙祷を行ないました。うしろで「アイスキャラメルマキアート」とオーダーを復唱する声が聞こえました。


今年で10年。テレビで特集が流れています。毎年3.11は黙祷を忘れません。今年は新型コロナウイルスの影響で自宅テレワーク席にて黙祷しました。明日あそこに行こうとか、今年はこういう自分になりたいとか、考えていたこと、計画していたこと、楽しみにしていたことができずに亡くなる無念を想います。今日もしっかり生きた、いつ死んでも後悔しない、そう思える人生を送りたい。毎年そう想います。

そして再びあのような自然災害が起こったときに自分はどうやって生き延びるのか、生活が便利になるほど大きくなる被害を覚悟し、しっかり準備して生きていきましょう。

多くの亡くなった人のご冥福をお祈りして。合掌。

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